No.3 ハリー・ポッターと賢者の石

第三回は「ハリー・ポッターと賢者の石」の魔法使いのチェスよりです。アニメではありませんが、執筆要望が多いことから決めました。

実は既に英語の解説記事がネットにありますが、日本語版は見たことが無いので書いてみることにします。また、新規要素として、チェス監修者の作成した局面と実際の映像の比較から見える演出上の工夫についても考察します。

シーン説明

ハリー、ロン、ハーマイオニの3人は、賢者の石を狙いに来た悪の魔法使いヴォルデモートを追いかけています。しかし、道中には行く手を阻む様々な仕掛けがあり、それらを一つずつ突破する必要があります。

その中に巨大なチェス盤の部屋で「魔法使いのチェス」で勝利する必要がある仕掛けがありました。「魔法使いのチェス」とは、チェスの駒が取られる際は実際に壊されてしまうという命がけのチェスです。

駒に交じる3人。それぞれの場所を赤字で加筆している。(ハリー・ポッターと賢者の石より)

3人はそれぞれ駒達に交じり、チェスの名人であるロンが手を指示して突破を試みます。ロンは初手を指してゲームを開始させると、その直後に実際に駒が取られて粉々になる様に戦慄します。

ロンは駒となっている3人が犠牲にならないよう立ち回りつつ戦います。相手のクイーンが盤面の自分達の駒を派手に破壊していきます。そして、ある局面でハリーが勝ち筋に気が付きます。ロンもそれに気が付いているようでしたが、ハリーはその手を止めます。というのも、その詰みはロンが犠牲になる必要があるためです。

ヴォルデモートを倒すにはハリーが必要です。ロンはここで彼に希望を託して相打ちとなることを選びます。ロンは自らを犠牲にする手を指し、クイーンに打ち取られてしまいます。思わずロンへ駆け寄ろうとするハーマイオニを静止しつつ、こみ上げる思いと共にハリーはロンの残してくれた詰み筋を指し、「チェックメイト」と勝利を宣言します。

局面解説

ロンが初手を指し、その直後に駒が取られたシーンは以下の手順です。ハリー達は黒番です。

  1. e4 d5 2. exd5
白の2手目で黒ポーンが破壊されるシーン(ハリー・ポッターと賢者の石より)

これはスカンチナビアンと呼ばれる、2手目でいきなり駒交換が起きる定跡です。古くから存在し、現代の GrandMaster も指すこともある、歴史の長い定跡です。ロンがこの定跡を選択したのは、最初に駒が取られる際に破壊される「魔法使いのチェス」なのか確認するためだと思われます。

ハリーが勝ち筋に気が付いた局面が以下で、黒の手番です。棋力に自信のある方は詰みを見つけてみてください。

勝ち筋のある局面(ハリー・ポッターと賢者の石より)
勝ち筋のある局面。赤字は登場人物の駒の位置

5r1k/1pN1R1pp/1Pb5/n3P1n1/7N/b1Q5/7P/1R4K1 b – – 0 1

勝ち筋のある局面をFENに書き起こしたもの(ハリー・ポッターと賢者の石より)

局面はこちらにある本作のチェス監修者の記事を引用しています。実際の映像に映るものともほぼ一致します。

ここから実際に指された手順は以下です。

1. .. Nh3+! 2. Qxh3 Bc5+!

白が投了した局面。赤字は登場人物の駒の位置

ロンの犠牲により、ハリーは相手の白キングに強力なチェックをかけることに成功しました。ナイトサクリファイスからダブルビショップを活かした美しいメイト筋です。

映像では直後に白が投了しました。一応、 3. Qe3 Bxe3# まで1手だけ白は粘ることができるため、ハリーの「チェックメイト」宣言は少し勇み足にも思えます。

ただ、実はBc5+は映像がカットされ、Bxe3# を指したシーンへ1手分だけ飛んでいる可能性が高いと思われます。というのも、投了時に倒れる白キングの剣の位置がハリーと近すぎるためです。この時、剣は投げられたりせず、手から零れ落ちるように倒れました。そのため、c5 のマスと白キングのいるg1は斜め4マス分とかなり離れているわりに、映像に映るハリーと剣の位置が近すぎます。Bc5+ はカットされて Bxe3#のシーンへ飛んでいたとするとハリーの位置はe3となり白キングのいるg1とは斜め2マス分と近くなり、映像で確認できる位置関係に違和感がなくなります。

白キングの手から離れた剣とハリーの位置関係(ハリー・ポッターと賢者の石より)

また、この局面はハーマイオニが後方のf8からルックとして支えてくれないとチェックメイトになりません。聡明なハーマイオニの支援なくしてここまで辿りつけなかったことを象徴しており、とても良い演出だと思います。

なお、実はこの手順はおかしな点があります。ご自身で詰みを読んでみた方は気づいたかもしれせん。答えは、このチェックメイト手順は最短手順ではない点です。本譜のロンを犠牲にする手順ではMate in 3です。しかし、最短手順だと2手でチェックメイトにすることができます。

1. .. Bc5+! 2. Qxc5 Nh3#!

この手順であればより短手数でかつロンは犠牲にならずに済みます。チェスの名人であるロンはその手順に気が付いていた可能性が高いと思われますが、その手順は選びませんでした。それは、この手順だとハリーが犠牲になってしまうからです。つまり、ロンはハリーを守るため、”最善手ではない” 自身を犠牲にする手をあえて指したのです。ロンの強い心を感じ取ることができる、とても熱い演出だと思います。

局面と演出の両立

注意深く映像を見ると、ここではチェスの局面と映像の映えを両立させようとした多数の努力を感じ取れます。

まず、演出的に邪魔な駒が映っていない点が挙げれます。監修者の示した局面と実際の映像は “ほぼ” 一致すると述べましたが、一致しない点として h4のナイトだけは映像に映っていません。(駒の大きさ的に少し無理はありますが、)偶然ロンの陰になっていたりスクリーンから外れる構図になっています。おそらくロンのナイトと紛らわしいため映したくなかったのでしょう。意図的に見えない構図で撮った、又はそもそも駒が置かれていないと思われます。

ロンが自ら犠牲になる手を指したシーン。h4のナイトがロンの斜め後ろにいるはずである(ハリー・ポッターと賢者の石より)

また、今回は白クイーンが悪役のように演出されています。ハリーの目の前で駒が破壊されて萎縮するシーン、ロンが打ち取られてしまうシーン、共に白クイーンが駒を破壊する手により表現されています。これは視聴者にとって分かりやすく、映像映えする演出だと思いました。意図的にチェス監修者によってそのような局面が作成されたと思われます。

ハリーの目の前で敵の白クイーンに黒ルックが破壊されているシーン(ハリー・ポッターと賢者の石より)

さらに面白いと思ったのは白が投了するシーンで、あたかもクイーンが投了したかのような演出にしていることです。キングはクイーンと同じ棒状の物を同じ姿勢で構えており、かつ頭の王冠が分からないような絶妙な角度で映っています。初見では一見クイーンの持っていた武器が倒れるシーンのように感じます。しかし、武器が剣で後方に横幅のあるマント(?)がある駒はキングであることから、ここで映る駒はキングであることが分かります。実際、筆者もチェスのルールもろくに知らなかった頃に見た時はクイーンが映っていると勘違いしていました。

前述の通り、悪役として表現されている白クイーンが投了したかのように見せる方が、あまり出番のないキングよりも視聴者にとって分かりやすい演出であると判断されたのだと思われます。

白キングの剣が倒れて投了を表現するシーン(ハリー・ポッターと賢者の石より)

総括

ポイントは以下の通りです。

  1. 初手でロンが指した手は現代でも「あり」なチェスの定跡手である。
    ロンが指したのはスカンチナビアンという、GrandMasterも公式戦で指すことのある定跡でありつつ、早めに駒破壊のシーンを入れることができるため映画の演出にマッチしたものです。
  2. 本譜のチェックメイト手順は演出とマッチしたとても美しい形である
    ロンの尊い犠牲とハーマイオニの後方支援の上で到達できるメイト形です。映画の内容と良くマッチした、粋な局面だと言えます。
  3. ロンが犠牲になった手とハリーがチェックメイトするシーンの間には1手分カットされたシーンが存在していると思われる。
    カットされていないと、ハリーと倒れた白キングの剣との位置関係に違和感が生じる上、ハリーのチェックメイト宣言が誤りになってしまいます。
  4. 盤面真理的に最善手はハリーを犠牲にする手順でチェックメイトすることだった。
    チェスの達人であるロンはおそらく最善手に気づいていたと思われますが、その上で自ら犠牲になってハリーを送り出す手を指しており、非常に熱い思いが込められた展開だった。
  5. チェス局面と映像映えを両立するための多数の工夫がされている。
    紛らわしい駒を映さなかったり、クイーンを分かりやすい悪役として演出する局面になっていたり、映像として映えるよう配慮された演出になっています。

余談

昔、チェスは知性の象徴とされていましたが、今ではポケットに入るスマホでも世界チャンピオンに近い棋力が出るようになりました。そういった意味では、今回のハリーのような状況に陥ってもチェスエンジンが入ったスマホがあれば試練は突破できてしまうという、ロマンが全くない世の中になってしまって寂しいです。

今回の題材とは違いますが、ヒカルの碁の佐為は1000年も囲碁をやり続けておきながら、囲碁の歴史最大の衝撃であるAlphaGo誕生の直前にこの世を去るという非常になんとも言えないことをしたと知ったらどう思うのか想像すると、少し切なくなります。。。

タイトルとURLをコピーしました